トークショー「昭和エンターテインメント再発見」続編

~コーディネーター・藤田敏雄氏より開会の挨拶~
皆さん、あいにくの天候にもかかわらずご来場いただきまして心から感謝いたします。トークショー「昭和エンタ-テインメント再発見」は第1回を去年の11月に開催いたしましたが、その際、10日ほど前に森繁久彌さんが他界したので、トークショ-の一番おしまいに、「銀座の雀」という歌を流して森繁さんを偲ぶことにしましたが、今回は5日前に昭和を代表する劇作家・井上ひさしさんの訃報に接してたいへんショックを受けています。
井上さんとの間にはこんな思い出話があります。私たちの世代は東京オリンピックまで外国に行くことができなかったので、ミュージカルの作り方を研究するにはアメリカの映画やテレビを見て勉強しましたが、私の場合たいへん参考になったのが日本テレビで放映していた「ペリー・コモ・ショー」という音楽番組でした。まだビデオなんてものがなく、ナマ本番の時代ですから、テレビを見ながら克明にメモをとり、逆算して台本を作って、番組構成の仕組みを参考にしたわけです。そんな話を井上ひさしにしたら、彼がこう答えたことを思い出します。 まったく同じことを僕もやったよ。ただ藤田さんよりちょっと若いからね、僕の場合は「アンディ・ウイリアムス・ショー」だったけどね。 まあ、前座の出番はこれくらいにして、いよいよ真打の登場です。皆さん、盛大な拍手でお迎えください。

では、安倍さん司会進行の方を宜しくお願い致します。

パネリスト プロフィール

安倍 寧 (あべ やすし)

音楽評論家、もと劇団四季取締役、現エイベックス・グループ・ホールディングス顧問、エイベックス・ライヴ・クリエイティヴ取締役。慶大文学部卒。同大在学中の1955年から内外のポピュラー音楽、ミュージカルなどについての評論活動をおこなってきた。四季時代は企画・国際担当として数多くの英米ミュージカル日本版の公演に係わり合いを持つ。またエイベックス20周年記念事業「BLUEMAN GROUP IN TOKYO」のエグゼクティブ・プロデューサーを務め、2年間のロングランを成功させた。著作は「ショウ・ビジネスに恋して」「ミュージカル I love you」など多数。
http://blog.avexnet.or.jp/abe/

植田 紳爾 (うえだ しんじ)

1933年1月大阪府生まれ。1956年早稲田大学文学部卒業。1957年宝塚歌劇団入団。1974年「ベルサイユのばら」、1977年「風と共に去りぬ」などの大作でヒットを打ち出し、ドラマ作者の第一人者として活躍。1996年宝塚歌劇団理事長に就任。2004年宝塚歌劇団理事・特別顧問に就任、現在に至る。ニューヨーク、香港、中国などの海外公演では定評のある日本物で手腕を発揮、2005年の韓国公演では「ベルサイユのばら」の海外公演を果たす。2007年4月には日本演劇協会会長に就任し、日本の演劇界の振興に努めるとともに、歌舞伎、文楽など外部公演の構成・演出も数多く手掛ける。1996年紫綬褒章受賞。

白井 佳夫 (しらい よしお)

1932(昭和7)年、神奈川県生まれ。早大演劇科卒。映画雑誌「キネマ旬報」で編集部員10年、編集長8年半の後、フリーの映画評論家に。湯布院映画祭、徳島テレビ祭、福祉映画祭 in NAGOYAの創立にかかわる。映画「無法松の一生」の戦時下の国家検閲と、戦後のアメリカ占領軍の検閲カット部分を、映画の上演とともに復元する公演で全国50箇所を巡演。東京芸大で「日本の古典映画」を3年間講義する。著作は「日本映画黄金伝説」「黒白映像 日本映画礼賛」「銀幕の大スタアたちの微笑」など多数。

コーディネーター プロフィール

藤田 敏雄 (ふじた としお)

1928年生。京都出身。宝塚歌劇団、劇団四季を経て、主としてミュージカルの制作(脚本、作詞、演出)に携わり、日本の創作ミュージカルの草分け的存在である。主要作品は"俺たちは天使じゃない""洪水の前""歌麿"など作曲家いずみたくとのコンビによるものが多い。また放送作家としての仕事も多く、1964年にはテレビ朝日のオーケストラ番組"題名のない音楽会"を立ち上げ、35年間にわたって企画構成を担当。著書に戯曲選集"リリー・マルレーン"(話の特集社)などがある。民音「シルクロード音楽の旅」の構成演出を全10回にわたって担当。