(質問者2)
こんにちは、ちょっと愚問かもしれないのですが。実は私は学生時代に日本文学を専攻しておりまして、歌舞伎が好きでした。その時代から観劇が好きで何度も歌舞伎座には通っておりました。ところが今年4月に音大に入学しました娘から昨年「お母さん、宝塚歌劇団を一回見に行ってよ」と言われまして、初めて8月に行ってみました。ミュージカルは初めてだったのですごく感動しまして、この3月までに5回ほど見に行かせていただきました。本当にトップの方も含め、トップでない方の笑顔の素敵さと輝きとそこに感動をしまして、演出される側がトップの方だけに光を当てるのではなく、作られる上で何かご自身で指針とされているということはございますか?女性だけで演じられているのですが、本当にほっとするというか娘がはまるのもわかるなと、私も母として改めて認識させていただいたんです。よろしくお願いいたします。

(植田)
これほど怖いというか、女性ばかりですから。男性と女性の勘の鋭さは、全然女性のほうが鋭いです。ご主人の浮気がすぐわかるっていうのは絶対女の人ですから。その勘の鋭さのある女性が400人もいるわけで、公演だったら、80人はいるわけです。そのメンバーが全部椅子に座って待ってるとき「おはよう」って入っていく瞬間には、80人の女性が勘の鋭い、まして舞台に出ようとしている勘の鋭い女性たちがジロっと見た瞬間に「この男悩んでる」とか「この男は今誤魔化そうとしている」とか必ず分かります。扉を取って入る瞬間に一度、腹の中から力を入れないと、本当に怖いですね。ただその鋭さがある反面、騙されやすい。女性は簡単ですね、「うまいな、うまくなったね、その衣装いいよ、そのメイクアップいいよ」とにかく耳元でどんどん喋ってやればどんどん変わっていきます。これはやっぱりスターを作る条件なんですね。男は同じ事言ったって絶対だめですよね。女性はすれ違いに、「この頃綺麗ね、この頃よくなったね」とか言ってやったらね、2、3週間で変わってきますね。その代わり常に、紺の洋服が好きな子が黄色とか赤と着だしたら、この子今我々に何かを訴えかけているなということを常にこっちで見てやらないと。だから世の男性は奥様を騙すのは簡単なんです。「髪の毛短くなったね」とか「そのブローチ綺麗よ」とか、ちょっとしたことでコロっといってうまくすればお料理も一品増えるわけですから是非ともやって頂きたいものです。53年ほど、宝塚にいるんで女性を騙すのは本当に簡単ですが、こちらも鋭く見られている怖さ、厳しさ。自分では誤魔化したつもりでも何年かたった後に「先生、あの時はこう言ったけれど、こう思っていたでしょ?」といまだに時々ズバッっと言われる時に「しまった」というのもありますからね。「ベルばら」やっている頃は大騒ぎでしたから、その頃の皆の鋭さというものには尊敬します。だから宝塚っていうのは女性ばかりで出来たんですよね。ブロードウェイミュージカルが出来た以上に。宝塚、今年96年なんで、96年前にミュージカルなんて言葉まだ無いでしょ?ねえ、アメリカでも。

(安倍)
多分、そう思いますね。

(植田)
ブロードウェイミュージカルが出来る前から宝塚は宝塚のミュージカルを作っているので、ブロードウェイミュージカルと宝塚ミュージカルはおのずと違うはずなんです。今はミュージカルブームですから、宝塚もそこへちょっと乗せていただいてるんだけども、本質的には宝塚のミュージカルとブロードウェイミュージカルというのは違うので、その違いが何処なのか?ということは、一度検証する必要はあるし、宝塚が100年、150年続くためには今検証すべきではないかなと思っています。

(安倍)
それだけの歴史が帝劇にもあるし、宝塚にもあるってことですよね。どなたかいらっしゃいますか?では男性の方。その次はあなたで。

(質問者3)
二つあるんですが。一つはモンパリの歌が聞こえました。日劇のダンシングチームとかによく出ていた歌なんですけれども。モンパリの歌のいわれと言いますか、いつ頃から出ているのでしょうか。戦後日本でも流行ったんですよね。

(植田)
あれは昭和4年くらいにヨーロッパで流行った。パリの賛歌です。しかし、「すみれの花」って、原曲はドイツの曲なんです。それをテンポやリズムを変えて公演で使ったことで評判になったのではないかと。曲がいいとかではなく、当時の昭和の初期の日本でああいう明るいリズム。こういったものが戦後に「りんごの唄」が流行ったように、なんとなく今と同じように100年に一度の大恐慌みたいな時代ですから、世界の大恐慌の中でああいう明るいリズムというのが人々に受けたんではないかなという気がしますけど。はっきりとは分かりませんけど。昔は御用聞きっていう少年がお店を回って「今日は何要ります?」と聞いて帰ってくるような御用聞きがモンパリ・モンパリと歌って、あの時代に日本全国であの歌が流行ったっていうのは、曲が良いというよりも、時代の人々が求めているものがそこにあった様な気がします。

(安倍)
よろしいですか?もう一つあるって。

(質問者3)
今度は映画の雑誌のことなんですけれども。戦後ですね「映画の友」「映画ファン」という雑誌が同じ会社から出ていたんです。その「映画の友」、今は無いんですよね。あのときの写真家で早田雄二っていう方がいましたが、そこら辺をちょっとお話し願えればと。

(白井)
淀川長治さんがね、ジャーナリスト、映画評論家として育った所が映画世界社なんですけれども。早田雄二さんて方、もう亡くなられてしまったんです。今、早田さんの写真の版権を全部マーランドという会社が管理しています。そこと連絡が付きまして、たくさんのスターの写真を早田さんのネガを全面的に使って、紙面に出しました。映画世界社の映画の遺産っていうのは、そういう形で何処かの会社とかが管理されていますよ。映画世界社からは「映画の友」「映画ファン」「映画物語」とか沢山の雑誌が出ました。向田邦子さんは「映画物語」の編集部にいて、ドラマが書きたくてTVドラマの方へ行った人です。

(植田)
「映画の友」「映画ファン」が一緒ですよね。片一方は近代映画社とスターでしたっけ?二つの出版社が日本映画と外国映画とで毎月出されて、早田さんの写真なんて綺麗だったですよね。

(安倍)
映画世界社って所で、淀川さん編集長の「映画の友」、日本映画専門の「映画ファン」が出されていて、経営者が橘さんで、橘さんは早田さんのお兄さんでした。泰明小学校の前のビル、今はコーヒー屋のオーバカナルが入っているビルの上に在ったんですよ。そこに弟の早田雄二さんのスタジオがあった。当時の女優が、早田さんに写真を撮ってもらうと右向いてとか左向いてとかって言われないで、ホテルとか銀座とかって言われたんだそうです。ホテルって言うのは帝国ホテルのことです。スタジオのある場所が帝国ホテルと銀座電通通りの中間だったからです。

(白井)
面白いですね。小津さんが大船撮影所で撮影する時、位置関係を決める時に「海寄り」「大船寄り」「山寄り」という言い方をしたらしいですよ。

(安倍)
それとどこか似ていますね。泰明小学校の前に行って御覧になってください。ビルがまだ残っておりますから。えっと、女性の方どうぞ。

(質問者4)
安倍さんにお伺いしたいなと思って。昭和の時代の映画界・演劇界・音楽界もそうなんですけれども、最近TVを見ていますと昭和の音楽番組を結構やっていますが、それを聴いておりますと本当にホッとする。夢や希望が溢れていて、お一人お一人がとっても個性豊かで、光り輝いていて、どんな唄を流されても口ずさめるという。そういう昭和の時代の音楽界のスターたちって、とっても輝いていて。今、平成になって22年も経ってしまいましたけれど、今のスターって言われる方かどうかはちょっと分かりませんけれども、あっちを向いてもこっちを向いても個性がある様でない様な、輝きというかそういうものがちょっと足りないように私自身思うんですね。昭和の時代のスターたちは夢・希望・幸せを与えてくれたスターたちですが、今の平成のスターって言うのはどういう方向に向かって行くのかなと思って。どうして輝きを失ってしまったのかな?という事をお伺いしたいと思います。

(安倍)
今の歌い手を支持しているファン層にとっては、輝いていると見えるんじゃないですかね。だと思いますよ。歌は世につれて、世は歌につれてって昔からよく言われていますからね。ただね、今、歌謡曲とか流行歌とかいう言葉がなくなりました。Jポップとか言われています。しかしJポップも実は、特に戦前にルーツがあると思っています。Jポップの原点は、服部良一さんだと僕は思っています。服部さんの歌を今聞きますと本当に新鮮ですよ。それが脈々と戦中・戦後生き抜いてきて、今日のJポップになっていると思います。その間にいろんな紆余曲折いろいろありました。戦後はアメリカのポップスを日本語の歌で流行らせるという、そういう試みも随分あったんですよ。それも今日のJポップを築き上げる一つの要素になっていると。こういう話は渡邊美佐さんの前ではしにくいんだけど、歴史を作ってこられた方ですから。時代によって音楽が変わっていくけれども音楽に携わる人間は原点を忘れちゃいけないと思っています。最近、なかにし礼さんが「世界は俺が回している」って小説を書いたんです。角川書店から出ています。産経新聞に連載していて。TBSの渡辺正文っていう名物プロデューサーをモデルにして書いてるんですけど、昭和30年代にどの位TVの音楽番組が盛んだったか、渡邊美佐さんがおやりになった東京音楽祭という国際的なフェスティバルがどんなに素晴らしかったかが詳しく書かれています。実名小説で、いろんな人たちが全部実名で出てきます。渡邊美佐さんも実名で登場するはずです。その本を是非、読んでいただきたい。Jポップと言われるもう一つ前の時代、日本の流行歌が外国のポップスやシャンソンやいろんな物の影響を受けながら日本独自のポップスを作りだしていった時代が生き生きと描かれていると思いますので。

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