(安倍)
どうしましょう、映画前にもう一人くらい質問を。では、どうぞ。

(質問者5)
白井先生にお伺いします。さきほどの音楽に関する質問と同じような事を、私は日本映画にすごく感じるんですね。昭和30年代末くらいまでの日本映画は本当に面白かったと思うんです。NHK-BSでよくその時代の日本映画を放送していますけど、それを見ますと密度にまったく隙が無いと言いますか、黒沢・小津だけじゃなくて豊田四郎・成瀬巳喜男とか、そういった監督たちが非常に日本映画を充実させていたように思うんですね。それが最近になりますと、数年前に評判になった「おくりびと」なんか見ますと、薄口と言いますか、脇が甘いと言いますか、非常に密度が薄くて物足りなく感じるんですが。決定的な違いと言うのは、バイプレイヤーと呼ばれた人達ですね。かつては、浪花千栄子とか進藤英太郎というすごい名優がいましたけれども、そういう人達が完全に姿を消しちゃって、脇を埋めてくれる俳優達がいなくなったせいではないかと感じるんですね。TVの拙速主義が映画界にも及んだと言われていますが、韓流の影響もあって薄口になったと時々聞くんですけれども、白井先生はどのようにお感じになっていますか?

(白井)
つまり冷たく言っちゃいますと、映画の時代は前世紀の20世紀で終わったのかな?って気がちょっとしていますね。今の映画ってその頃の映画と違った新しいことが始まっているのかもしれないと。「アバター」なんか見ますと、まったく新しい。入念に歳月をかけ、巨額のお金を投資する広大な立体映像の新世界が広がって見えるみたいな時代が来るのかな、という気もするんですよね。だけどそれは、我々が育った白黒スタンダードの日本映画とはまったく違ったものでしょうね、きっと。エンターテインメントというのはどんどん新しい分野に広がっていくものなんだから。私は白黒スタンダード時代の日本映画についての本「黒白映像 日本映画礼讃」(文藝春秋)を書いたりもしてるんですが。そこにはカラーワイドになった今も継承していくべき物があるんだろうとも考えています。ただ非常に冷たく言っちゃうと、古代人が洞窟に描いた牛の絵は非常に素晴らしい。だからといって、古代の洞窟の壁画に全てのエンターテインメントをゆり戻す訳にもいかないですよね。非常に面白い形で発達して来ているんだけど、映画みたいに人間が集団で作る物っていうのは、科学文明の発達によってどんどん変わっていくっていう基本原則があるような気がします。今一番ヤバイと思うのが、サイレント映画からトーキーになった、益々お金がかかる。色が付いた、益々お金がかかる。ワイド画面になった、益々お金がかかる。立体音響になった、益々お金がかかる。70ミリになった、益々お金がかかる、手間がかかるという風になってきているのに、世界各国の映画っていうのは、TVに押された頃からどんどん劣勢になっていって、全盛期の時みたいに入念にお金を掛けない。早く撮っちゃう、なるべく少予算化するみたいな方に行ってしまっている。入れ物としての映画っていうのはカラーワイド、立体音響、大スクリーンのすごい入れ物になっているのに、昔の映画の1/10くらいの予算を使って撮っちゃうから、まったくダメなところが大きな画面に拡大されちゃうみたいな要素があるんですね。ただ「アバター」を見るとね、なるほどこれは事によると新しい映画の時代が始まるかなと。さっき帝劇のお話がでましたけど、旧帝劇でね、これがシネラマだという最初の大型映像が上映されたんですよ。
これは今フィルムは残ってないんだけど、こういう画面から始まるんですよ。
巨大スクリーンでね、その真ん中に黒白でね「大列車強盗」っていうねアメリカ映画一番最初の西部劇、サイレント映画ですよ。これがこう展開していくんですね。それが終わってね、登場人物の強盗がね、カメラに向かって拳銃をぶっ放すんですね。そして「今までご覧になったのがアメリカ最初の劇映画でした。そしてこれがシネラマです!」ってナレーションがあって。色が付いた画面が「ガッガッガッガッガッガッガッガ」って巨大スクリーンに拡がって来てね、立体音響が入って。帝劇の椅子で我々がビックリする。こういう感じですね。それで最初何が始まるのかっていうとね、ジェットコースターに乗ったカメラが上昇していく画面から始まるんです。「ガッガッガッガッガ」って音は要するにジェットコースターが上っていく音なんですね。それで大きなスクリーンで立体音響で「キャー」っと疾走を始める。それを見たとき僕は思いました。これは一種のショーなんだけど、黒白スタンダード映画が積み上げてきたあの律儀な古いドラマの世界ってのはいよいよこれで完全に終わってカラーワイドの新しい世界が始まるのかなと。さらに言うとディズニーの「ファンタジア」って映画は戦争中の映画なんですよ。日本が南方地方を占領した時にはフィルムがあったんですよ。それを軍属で南方戦線に行った小津安二郎が見て、「こんな映画をアメリカは作ってたのか、この戦争は負けだな」って思ったっていう話があるんですね。それを戦後日本で上映した。ディズニーって人は面白い人でね、今はワイドスクリーンの時代になってるので、戦争中はね「ファンタジア」ってのはスタンダードサイズの映画なんですけど、第1話はスタンダードサイズでやって、第2話ではビスタビジョンサイズになってね、第3話ではシネスコになるっていう風にね、エピソードごとに広げて上映した。そういう上映の仕方を日本ではしたんですよ。これはあまり記憶している人がいなくなっちゃってるんだけど。そういうことがあるんですよ。シネラマと「ファンタジア」の拡大版を見て、これは新しい映画の時代が始まるぞ、と思いましたね、僕は。それと同じ様な感動を「アバター」で感じてね。だけどこれは黒白スタンダード映画のきめ細かく、名優がいて、名演出家がいて、名監督がいて、名カメラマンがいてっていう時代に比べるとまったく違ったものかも知れない。映画なんていうエンターテインメントが面白いのは、機械文明の発達によってどんどんどんどん現実に近いリアリティーを持ってくるって事ですね。で、それがついに「アバター」にまで来たかと。多少「アバターにえくぼ」みたいな理解をするんですけどね(笑)

(安倍)
いやー、エンターテインメントの歴史ってのは、白井さん、やっぱりテクノロジーの歴史と両輪ですね。

(白井)
そうですね。

(安倍)
映画もトーキーが出たときに日本でも弁士は全部失職しちゃったわけなんですよ。音楽も生演奏でしたから楽士も失業したんです。

(白井)
徳川夢声とか大辻司郎なんて弁士さんは漫談家になっていくわけです。

(安倍)
ハリウッドでも美女だけど声の悪い女優はみんな失業しました。
やはりエンターテインメントってのはテクノロジーの進歩に影響を受けますよね。

(白井)
そうですね。機械を使って人間が集団で作る、新時代の芸術、映画というものは。

(安倍)
それで思い出したんですけど、ハリウッドにヘッダー・ホッパーっていう有名なコラムニストがいて、皆ホッパーさんに悪いことを書かれない様にとスター達も戦々恐々だった。彼女はどうやってネタを集めたかっていうと、スター達が集まる有名なハリウッドのレストランの天井に隠れ場所を持ってて、「葦の髄から天井をのぞく」じゃなくて天井から逆にダイニングルームを覗いてて、それでネタを集めたという話があるんですが。
最近のインターネットのコラムニストは別にハリウッドにいなくてもいいそうだし、レストランの2階の天井に姿を隠していなくてもいいと。アメリカで一番人気のあるそういうハリウッドのコラムニストっていうのはハリウッドにいる人じゃなくて、どっかとんでもない田舎にいるそうです。ユタ州かどっかにいるそうです。それでもなんでネタが集まるかっていうと例えば撮影所とかで働いている人で不満のある人達がどんどん情報をくれるんで、面白いものをピックアップして組み立てればハリウッドにいなくても大コラムニストになれるんだそうです。ですから時代があの・・・。今日もいろんなゴシップについて話しましたけど、ゴシップのあり方もだんだん違ってくるのかなという感じがしますね。

(白井)
これからの時代はね、事によると映画は映画館で見るものじゃなくなる可能性だってあるんですよ。それから地上波テレビ局ってのはデジタルの時代になると消滅する恐れがありますからね。だから彼らは一生懸命映画会社と組んで映画を作るって事をやってるんだけど。そういう風にね、どんどん速度が速いとね、将来いったい何がグッドエンターテインメントになってくるのか、それがどういう構造になるのか、メトロポリタンオペラの新作がビデオ収録されて、シネマコンプレックスの映画館で上映される時代になってますから。

(安倍)
そう東劇でやってますよ。僕もときどき見に行きます。

(白井)
・・・という新時代に、なってきてるんですよ。

(安倍)
ニューヨークのメトロポリタンのオペラを東劇で見れるんですからね。
そういう時代だと思いますが、しかしエンターテインメントは人と人がぶつかり合って作っていくものという、その基本は変わらないんじゃないでしょうか。

(白井)
それはその通りですね。

(安倍)
ね!あんまりテクノロジーに振り回されるのも如何なもんかなという気もいたしますんで。

(白井)
巨大なテクノロジーを、才能と意欲のある人が使いこなした時にこそ、映画は新しくなっていくんでしょうから。

ページの先頭へ