(安倍)
というところで黒澤明監督の大変生々しい演出風景を白井さんの貴重なフィルムでこれから見たいと思いますので、その前に白井さん解説をしてください。

(白井)
ええとね、例えば若尾文子さんは10代で大映って会社に入って、メロドラマとかたくさんのプログラム・ピクチュアに出て有名になってくる。多少鼻が高くなってくるんですね。魅力も出てくるし。その時にね、溝口健二っていう監督の作品に出るんですよ。これで彼女は死ぬ苦しみをするんですね。「赤線地帯」って映画に出た時にね、溝口健二監督はまず若尾文子にやらせる。そして「違いますね、そうじゃありませんね、もう一回やってください」、「違いますね、そうじゃありませんね、もう一回やってください」とそうなっちゃう。何度も。で、ある女優さんが聞いたそうですよ「じゃあ溝口先生、どういう風にやったらいいんですか?」そしたら監督は「僕は監督だから知りません」「あなたはプロの俳優でしょ、僕より高いギャラ取ってんだから、自分で考えなさいよ」って突っぱねるわけですよ。それで若尾文子は遂にはね、こんなに屈辱的な目をふだん一緒に映画を作ってる大映のスタッフの前で演じさせられるんだったら今夜死のうか、と思ったそうですね。だけど死んだら迷惑掛けるし、ここは頑張ろうと思ってやって、一つ突き抜けたって言ってますね。その突き抜けたことが自信になって、今の私があると彼女は言った。溝口さんに教えられた突き抜け方をもってすれば、舞台にだって立てると自信を持ったそうです。それから、高倉健っていう東映の俳優さんいますね。あの人ギャング映画とかヤクザ映画とかプログラム・ピクチュアにたくさん出て、有名になっていくわけですよ。それで内田吐夢っていうね、「飢餓海峡」っていうすごいリアリズム映画に本格主演して、国立大学出の検察庁エリート役をやることになる。これで内田吐夢さんにやられるわけですね。
「ダメだよ健ちゃん」「ダメだよ健ちゃん」って。(高倉健が)「何がいけないんでしょうか?」(内田が)「あんたヤクザの目しちゃってるよ、もうちょっと新聞読んだり、雑誌を読んだり、本を読んだり活字を読みなさいよ。そうするともうちょっと知的な目になるぜ」って言われたんですって。と健さんが話しているんだけど。で、出来上がった映画を見て分かったって言ってますね。なるほどそうか、と。
こういう身に沁みて言われると痛いこと。それを突破した時の、フィルムに写った自分のすばらしさね。そこから役者ってのは成長していくんでしょうね、きっとね。で同じ様な意味で、香川京子さんがね、黒澤明の「どん底」って映画に出たんですね。そん時黒澤明はまず何をやったかっていうと、出演者全員とスタッフ全員を東宝撮影所の控え室に集めて、古今亭志ん生を呼んでね「粗忽長屋」っていう落語をみんなに聞かせるんですよ。何かっていうとね、日本版「どん底」の舞台になっている長屋ってのは、江戸時代にこういう雰囲気を持っていた、というのを教えることから入っていくという。そういうことになっていく訳ですね。そんな風にしてポピュラーなスターになった人は毎週毎週2本立ての娯楽映画にたくさん出て、自分でも自信を持って、魅力をどんどん磨かれて大量生産システムの中で素晴らしくなっていくんだけど。それが天狗になる前に黒澤明とか溝口とか小津とか内田吐夢って人にバーンと鍛えられて、人間的にね横ビンタを食らうわけですよ。
では、これはあんまり記録が残ってないんだけども、珍しい記録映像をお見せします。黒澤明監督がいったい役者を撮影現場でどういう風に調教したかっていう、10数分の記録フィルムです。これは僕の親友の内田健太郎っていうCMの黒澤明って言われてた監督がね、「まあだだよ」って黒澤明の映画のメイキングビデオを作ったときのものです。それをご覧にいれるんですけど。松村達雄っていう新劇系の名優さんがね、内田百聞がモデルの「まあだだよ」の主人公を演じているんですね。それがあるシーンで監督との間にどういう摩擦を生み、どこまで絞られたかというね興味深い13分くらいあんのかな?それが終わった段階でちょっと話して、またさらにもう一つの短いフィルムに行きますけど。

~フィルム上映~

(白井)
とこういう風にして、名優松村さんが、シゴかれたわけです。こんなことが、黒澤最後の映画「まあだだよ」では、何べんも繰り返されてるはずです。何十篇とやって実際の完成された映画で使われたシーンはどんな所かっていうと、これを見てください。

~フィルム上映~

(白井)
ハイそこまで!これだけのシーンですよ(笑)何十秒かのシーン。
いや黒澤さんの撮影風景のシゴキってのは、おそらくこれが唯一残っている第三者の目から見られたビデオ映像だと思いますね。これは彼の最晩年の一番最後の映画で、それがこれなんですね。これがもっと腕力が強くて、肉体的な力が旺盛だった時代に多くの俳優達がどうシゴかれたかっていうのは、まさに想像を絶することでありますね。これからいったいどういうことを考えるのか。あんないじめ方は役者を萎縮させるだけだと思うか。ああやって延々と積み上げていくから、すごい彫琢された映像が出来るんだと思うか。ああいうことをやってる暇がないから最近の日本映画はダメなんだと思うか。あんな古典的なやり方を捨て去ったから今の日本映画は、自由ですばらしいんだと思うかと。
あとは見た皆様のご感想にまかせます。どうも。

(安倍)
あのYoutubeでも見られない様な珍しいレア物の映像でした。今ご覧になって感想、ご意見ございましたらお聞かせ願いたいんですが、どなたかいらっしゃいませんか?

(質問者6)
私は54歳で、黒澤監督は人物としては知っていますけど、見たことがないというか。今ここで映像を見させて頂いてすごいなぁと。黒澤監督が自分の納得のいく所まで役者さんにやってもらう。それでその映像はスクリーンに出ないけど、そういう監督さんの思いとか、傑出したものがあるんじゃないかなと思うんですが。今の監督さんというのは俳優さんとの関係はどうなのかなと思うと、こういう映像はなかなか見られる映像ではないのでとても貴重だし、(見れて)良かったなと思いました。

(安倍)
ちょっと専門家の意見を伺おうかな。
あの西島雄造さん、読売新聞 元芸能部長 映画の専門ジャーナリストです。ご覧になって一言。恐縮です、突然指名しまして。

(西島)
変な振り方しないで下さい(笑、客席から)
とても興味深く、というよりは見ていてスリリングでサスペンスを感じました。ただ見終わった後でひょっとすると黒澤さんってとてもジェラシーが強かったんじゃないかと。上手にやられると気に食わないんじゃないか、むしろ自分が思い通りじゃないようにやられると、癪だから何回でも絞ってやる、そういう印象も受けました。多分間違った印象だと思います。

(安倍)
いや間違ってない印象ですよ。

(白井)
僕は実は早稲田大学の演劇科の頃に「蜘蛛巣城」という黒澤さんの映画に、ちっちゃな役で出演しているんですね。その時に如実に分かったんですけども。当時から黒澤さんっていうのは、常に一つのシーンを3台のカメラで撮るんですよ。普通の映画は「そうだねー」という三船のアップ。それでおしまいですね。みんなのシーンはまた別々のカメラが別々の所から撮る。さらに大勢のシーンはまた別のカメラが撮るでしょ。黒澤の場合はこれを長い時は10分位の長回しで3台のカメラでと撮る。1台は三船さんのクローズアップ、2台目は三船さんを囲む数人のバストショット。3台目が全体のロングショットという風に。その内の1台はレールが引いてありまして、移動したりするんですよ。午前中そうやって撮ったシーンを、午後オープンセットに穴を掘って、下から見上げる位置の3台のカメラでまた撮ったんです。同じシーンを。ということは一つのシーンに、6台のカメラが映像を撮っているわけですよ。これを一体黒澤はどの部分からどの部分に飛んで、本編をつなげていったかっていう、非常に面白い問題でね。ある時僕はこういう事を考えたことがあるんです。
70mm映画の大画面に、その6本のフィルムを一斉に流してみたいと。完成映画で使ったのは「ここ」って、示すような形で。ですが使われなかったフィルムは全部破棄されてしまっていて、それは不可能でしたね。だからこれが唯一の記録ですね。黒澤がいかに現場で凄かったかということに関するね。

(植田)
でも、脇の方でこれでしょ?三船さんなんてどうだったんでしょうね。酔っ払って刀振り回したっていうけどストレスあったでしょうね。

(白井)
ところがね、三船さんの場合は意外とスムーズにいっちゃうんですよ。彼が発見したスターですからね。三船さんって後のアメリカ映画のアクターズ・スタジオ系のスターみたいな人でしょ。野生動物をカメラの前に連れてきて、それが演技の定型をふまずに、「このヤロー」なんてどなったりして破天荒な直接的演技をするタイプでしょ。意外とね、三船さんはそう演技を直されることはありませんでしたね。最後の黒澤とのコンビの映画「赤ひげ」というのがありますね。あれは白黒シネスコ映画ですよ。画面の中で三船のヒゲが赤いということを感じさせる為には、黒のままでいいのか。油をつけて黒光りさせるのか。茶色にしたらいいのか。金髪に染めたのがいいのか、何通りかテストしてますからね。そういう手間が掛かっているんですよ。しかも黒白シネスコですから、照明がやたらと強いんですね。そうすると演技している間に三船さんのカツラから煙がたってきたとかってね、これ以上やると炎上しちゃうんじゃないかと、その位凄かった。さっき言ったようにそれは古い時代の凄さで、新しい映画って言うのはあんな凝り方をしちゃいけないんだよという考え方も当然ある訳ですよね。これは見た皆様のご想像に任せますけどもね。この辺が日本映画の非常に面白い問題ですね。古典と現代ということを考える上で。

(安倍)
結構黒澤監督というのはサディスティックでしたね。

(白井)
そのかわり、個人的にはいい人なんですよ。前回もお話しましたけど、演劇系の名優が、何でもないシーンを朝の9時から始めて夜の10時までやってOKが出ない。やっとかろうじてOKが出た。黒澤さんにこんなシーンでこんなに直されるようじゃ、私は女優としてダメなんじゃないか、と打ちひしがれてセットを出ると雨が降っていたというですね。ますます沈んでしまって、私は女優を辞めようかしらと思ってたらば、東宝撮影所の正門に黒澤明が傘さして待っていて「よくがんばったね。良かったよ、本当に良かった、よくやったね」と言ったっていうんですね。その女優さんは「ああこの人の為ならもう命を捨てても惜しくない」と思ったって。伝説の黄金時代の日本映画ってそういう作られ方してた。よく黒澤さんがいいますよ。他の監督がよく言うよな。「俺みたいに時間と金を掛ければ、いい映画ができるよなぁ」って。でも白井よ、よく考えてみろよ。俺も助監督から他の皆と同じような所からスタートしてるんだぜ。それで段々実績を積み上げて、黒澤の為ならこれだけの俳優集めよう、黒澤の為なら巨大なセットを建てよう、黒澤の為なら3ヶ月の撮影期間が6ヶ月になっても、9ヶ月になっても待つっていう風に俺は持ってきたんだよ。100回リハーサルやってOKって言われたら、俺はもう一回って言うって。だって白井よ、100回やってあんなに良くなったんだから、101回やったらもっと良くなるかも知れないだろ、と。この凄まじさはね。。
さっき控え室で植田さんね、若尾文子さんのCMの話が出ましたね、やっぱり彼女なんかでも色々監督に絞られたりしてるから、今日でもちゃんといい仕事をしている。

(植田)
今コマーシャルで凄い評判で。あの年齢であれだけの貫禄があるって。あれだけ色っぽくて大女優って感じがするっていう。皆さん業界で評判ですけれども、鍛えられて鍛えられてきてるからですよ。

(白井)
ところが、黒澤さんや溝口さんの映画の作り方はね、役者が自主的に発見しなきゃダメって言うわけなんですよね。よくある監督が「あんた新人なんだから、もうちょっと左上見ようか、もう30cm目を上げて。いいね、いいね」と踊りの振付けのように演出していくやり方がある。それじゃダメなんだと。若尾文子が言っているんですね、溝口さんの映画って言うのは、その台詞を寝そべって言おうが、立ち上がって言おうが、着物着ながら言おうが、飲みながら言おうが自由だって言うんですよ。リアルにその人になっていれば。なっていないと駄目です、駄目です、って言われる。地獄だと言っていました。でもそれを突き抜けたとき「これが演技っていうものか」っていう風になるとね。

(安倍)
スターがそこで生まれるわけですね、スター誕生です。皆さんのお話が面白かったんでつい時間オーバーしてしまいましたが。今日のはシンポジウムでもないしパネルディスカッションでもありませんので結論は必要ないのですが、昭和のエンターテインメントあって平成のエンターテインメントに欠けているのは何かというと、怖い人が居ないなという気がしますね。どうでしょうか?別に結論付ける訳ではないのですが、平成にも鬼みたいな演出家や監督や音楽の場合には作曲家やそういう人たちが出て欲しいなというのが私の今日の感想なんですけれども。

(白井)
こういうことがありました。戦後のある映画で監督に言ったことがあるんです。僕が出来上がったのを見て「あのシーンはいらないんじゃない?折角撮ったんだけど、あれをカットすることで、作品全体の印象が良くなる気がする。あれを取れば良かったのに」って言ったんですね。その監督が「あれがギャラも払えなくなっちゃったのに、冬の寒い川の中でスタッフ・キャストが裸足で濡れネズミになって、徹夜で撮ったシーンだ。だから切れなかった」って言うんですよ。それは正しいのか?どうなんでしょうね。

(安倍)
人情でしょうかね。厳しい反面、情もあったし。それでは最後に皆さんの誰かから感想を伺おうかなと。どうぞ、どうぞ。

(感想者)
僕は今71歳で、未だにTVの現場にいるんですが、今の映画っていうのはTVで受けたやつを東宝の撮影所に行って撮っているんですよね。東宝の撮影所って閑古鳥が鳴いちゃって、食堂もやっていない状態で。あれだけあるスタジオの中でポツン・ポツンと映画を撮っている、CMも。これからまた来年完全デジタルの時代に入っちゃって、そうすると今度デジタルって画面が綺麗なもんですから、お金も掛かる。ですから先生がおっしゃったお金が掛かるって言うのが一つなんですが、NHKや民放何処でもお金が掛かるので大変な思いをしているんですね。TVの場合は撮り直しが出るのは、カメラさんが失敗したとか音声さんのマイクが出なかったときで、そういうこと以外はNGにならないんですね、どんどん、どんどん進めちゃっていますから。これはどんなに頑張っても今の状態じゃ良い映画は出来ないと思いますね。視聴率とか考えないでやるような映画が撮れる様な時代がまた来れば出来ると思うんですけれども、今の状態ですと、どうしてもしょうがないと思います。予算が絞られているわけですから、お金の掛かることは出来なくなると思います。

(安倍)
よく分かります。それはそうですよね。やはり経済条件が厳しい事が大監督を排出させない要因になっているかもしれませんね。やはりそういう意味では、昭和の時代は大監督がいくらでもお金をが使えたといういい時代だったのかもしれませんね。
ということで、そろそろ時間も来ましたじゃなくて、大幅にオーバー致しましたんで、この辺で引下りたいと思います。
本日はどうも御清聴ありがとうございました。

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