(白井)
日本映画は宝塚に本当にいろいろお世話になっております。東宝を興したのは小林一三さんですからね。「清く・正しく・美しく」というのは東宝の基本概念であるわけで、意外な所で繋がっているんですよ。例えばね、小津安二郎監督の映画音楽はいつも似ているんですね、これを業界では「サセレシア」というんですよ。何故かっていうと元は宝塚なんですよ。宝塚歌劇お得意の「サセパリ」と「バレンシア」なんですね。小津さんの映画の音楽を思い浮かべるとこうなるんですよ。曲調が似ているこの2曲をつなげると、あの小津調の独特のテーマ曲になる。

(安倍)
なるほど、面白いですね。

(白井)
小津さんは宝塚の人達が好きでよくお招きして一緒に食事して、話をしたりして。小津さんというのは不思議なんで、終生結婚しなかったし、子供も居ないんですけれども、あれほど日本人の家族というのを見事に描いた人もいないんで。僕は反語的に結婚もしないし、子も居ないからあんなにも、見事に日本の家族が描けたんだと。実際に結婚してみると、いろいろ足を取られてああはいかないのかも(笑)。 それと、ある時代まで吉川英治の宮本武蔵のお通さんを映画で演じたのは、みんな宝塚出身の女優さんであるという話もあるんですよ。

(安倍)
お通は全部宝塚出身じゃなきゃ演じられない、面白いですね。

(植田)
今でこそ芸能学校っていう組織があって、皆さんそれを育ててらっしゃいますけど、大正の頃にそういった女性を育てる組織って無かったんですよね、宝塚だけだった。今の高校・中学とか見ていると、それぞれが全部、クラスの中に10人居れば10人とも目標が違うから、皆違うところを目指している。それを一つにまとめて教育なんてとんでもない話で、まとまる筈がないんです。宝塚っていう所は40人毎年入ってくるんですけれども、40人が2年間音楽学校で勉強しなかったら、憧れの大劇場に出られない。みんなの目的は一つ。それは決まっていますから。例えば、カラスは白いって言われれば、白いって信じようということになりますからね。そういう教育の仕方、あるいは小林一三先生は「清く・正しく・美しく」で礼儀正しくとか、結婚してもいいお嫁さんになるようにという教育をして下さってますからね、外に出ても行儀がいい。遥くららという、結婚してしまいましたが、良い女優になると思っていた女優がいました。彼女が初めてTVに出たときの話。タイトルロールが自分の役名の名前の番組なのに、休憩時間にはスタッフにお茶を入れたり、一番最初にスタジオに入ったりとか。これが当たり前でした。当たり前のように育ててきていたそういうのが良かったんじゃないですかね。

(白井)
家庭的教育が、ちゃんとしていたんですね。お父さんの心境ですよね、植田さんが「ベルサイユのばら」で長谷川一夫さんを演出に起用されたのも面白い。長谷川さんも大分お年を召して、映画が駄目になって、舞台なら厚塗りのお化粧で通ったんだけどそれも危なくなってきて。という時代ですよ。その頃、花馬車(赤坂のナイトクラブ)のショーで長谷川さんがショーの演出をおやりになったので、インタビューに行ったんですよ。インタビューも面白かったんですけれども。一枚写真を撮らせてくださいって言ったんです。そしたら彼は「ちょっと待って下さい。花馬車のショーが終わりますと、スポットライトが私に当たります。『今日の演出家・長谷川一夫さんが来ております!』で私が立ち上がって、皆さんにご挨拶を致します。その時撮ってください。その時私は一番いい顔をしますから」と。このショーマンシップというのは、凄いものだと思いましたね。

(安倍)
昭和30年代、赤坂にナイトクラブが何軒かありました。そこで長谷川さんは一門を引き連れて長谷川歌舞伎ということでショーをおやりになっていた。今、白井さんがおっしゃった植田先生の作品では長谷川さんが大きな役割を果たされていたはずです。本で読むと、流し目を指導されたという。その辺のお話をぜひ伺いたいんですが。

(植田)
今だから申し上げていいんだと思いますが、お忙しい方ですから公演になったら、たくさんの台詞を覚えないといけない。たくさんの振りを覚えないといけない。初日から一週間くらいはなかなか自分の頭の中には台詞も振りも入らない。だけど、舞台をやらないといけない。そうすると、あっち行ってニコ。こっち行ってニコっと。もう振りはいらない訳ですよ。どんなに一所懸命振付けても花道に出てニコッと笑った方がいいという事があったんですね。お芝居だって喋りながらニコ。分からなくなったらニコ(笑)。それでお客は大満足だからそういう魅力なんですけれども、「ここの時のこの台詞は客席の三番目を見るんだよ、この次の台詞はライトのほうを見なさい、そうするとライトにあなたの潤んだ目が光るやろ」という教え方。これは普通の演出家には絶対出来ないことで、ご自分が経験されたことなんですよね。やっぱり経験ってことは大事で、新しいホール・劇場が出来ますと、東宝関係だったら必ず宝塚が杮落としをやって。天津乙女さんが必ず「宝三番叟」をやるんですけれども、ホールが出来上がってない時に下見に行くと、僕らは客席から見て言うんですけれども、本人は「ここで良いの」と言って自分で自分の位置を決めるんです。どうしてあそこがいいんですか?ってことがあるんですけれども、やはり役者って方は体で馴染んでますから、どこに立ったらどこのライトが自分のどこに入ってくるのか分かる。我々はなるべく前に出てきて欲しいんですが、そういうスターは自分がスマートにいい形で見えるのはこのライトの下じゃないと駄目だっていうのが感覚的に分かるんですね、理屈じゃないんですよね。そういうことは経験でないと教えられないことで、そういったことをいろいろ教えて頂いた。体でどう表現したらいいかってことを教えて頂いたってことは大きな財産ですし、それが未だに「ベルサイユのばら」を再演するときに先輩たちが来て、いろんなことを言われて残っていって、芸って無くなったら本当に一代で消えますでしょ?そういった意味でもそこに残して下さってる限りは、長谷川一夫って人はいつまでも残っていく気がします。

(白井)
映画時代も同じだったそうですね。長谷川一夫専属のライトマンとか、美術マンがいるわけですよ。セットに入ってくると、「3のライト暗いんじゃない?5のライト向きが違うんじゃない?」という具合に、自分がよく映るための条件を厳しく言ったという。リアリズムの巨匠の溝口健二の映画で、いつもはメークが白塗り人でしょ?溝口さんはリアリズムの人ですから「長谷川君、もうちょっと黒く塗ってくれない?」って。初日は黒く塗っていたんですって。2日目、3日目段々白くなってきたっていう(笑)。その位、俺は芸術祭が何とか、リアリズムが何とかなんてどうでもいいんだ、俺を好いてくれる大衆にスクリーンの中から一番いい面を見せてあげて、それを喜んで頂くのが私の使命である、と。その為には、新人の女優にも教えてくれたんですね。「あなたそんな所におったら駄目よ、もっと前に出て来て、体は不自然だけどねじりなさい。そうすると場面に女の色気が出てくるのよ」という事まで教えて貰ったというんですね、そういう人が居たんですよ。

(植田)
撮影所に遊びにおいでって言われて、その時に監督さんと意見が合わなかった、揉めてる丁度その頃に行ったんです。スタジオに入るからおいでって言われて、長谷川一夫がカットを撮るわけですから、照明やら何やら全部出来て、準備OKさあどうぞと呼び出されてスタジオに入って、挨拶して、ここに座ったらいいの?って聞いてそこに座って。突然、「本当にいいの?」。それを3回繰り返された。僕らは何も分からないし、周りはどうぞ、どうぞっと言ってスタート、カット、終わってお疲れ様。「本当に良かったかな?」って一言残されて。その後に会ったら「あれな、後ろの障子にライト当たってなかった、もう一度撮り直してくれって言われたけども絶対に嫌やった。僕は3回言ったじゃないか」と言われて。入っただけで見回して、一緒に入って行って、みんな「おはようございます」って。先生ここにどうぞって言われただけなのに、どこのライトが当たっていないのか。ライトによってもっと自分が際立つんですよね。

(白井)
肌感覚で分かるんですよね。

(植田)
これは怖かった、すごいと思った。

(白井)
あの人は初代中村鴈治郎さんの門下で、歌舞伎につながる松竹映画に抜かれていった。ある時、契約切れで松竹を蹴って東宝にいった人でしょ。刃傷事件起きますね。ほっぺたを切られたわけですね、安全カミソリの刃を二枚挟んだ手で切ったって言うんですよ。一枚なら繋がるけど、二重に切られちゃうと駄目なんだそうですね。その時切られたという時に傷を手ぬぐいで押さえて撮影所の中に入って、「鏡、鏡!」って。鏡をぱっと見て、私の顔は再生可能な切られ方しているか?二枚目にとったら致命傷ですからね、そのくらいの執念がある人だったみたいですね。

(植田)
本当に凄かったですよね、もう1ミリ違っていたら駄目だったでしょうね。

(白井)
長谷川さんは、顔の右側は映画でアップ見せないですからね、そんな事は微塵も感じさせない。

(植田)
洋画のパレットで顔に埋め込まれるんです、ドーランを。だからものすごく時間が掛かってますよね。後年でそれだから、切られた瞬間なんて凄かったでしょうね。

(白井)
そういう神話が、近頃ありませんね。

(安倍)
そうですね、スターは神話を生むんですね

(植田)
伝説とかね。

(白井)
それが語り継がれて、我々その頃の撮影所に行ったことない者も、そういう事があったのか、と知るみたいなね。

(安倍)
そう言えば長谷川一夫さんのお嬢さんの季子さんは宝塚出身です。素晴らしい踊り手でしたね。明石照子と二人で踊った「深川マンボ」は邦楽の深川をマンボに編曲し直したナンバーです。銀橋のいちばん前まで出てきて二人で踊る。素晴らしいデュエットでした。話は尽きませんけれど、ちょっと休憩を頂いて、後半はぜひ今日は幅広い年齢の方、遠くからわざわざお出かけくださった方沢山いらっしゃいますので、皆さんにもこのパネルディスカッションに参加頂きたいので、手を挙げて頂いていろんな質問を浴びせかけて頂ければ幸いでございます。しばし休憩を頂きたいと思います。

ー休憩

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