一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
これから日本のエンターテインメントを担う
若きプロデューサーたちへ
~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~

一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
2025.8.14
音楽・芸能の発展に貢献し大衆に希望を与えた人を顕彰する『渡辺晋賞』。今年第20回を迎えたことを記念して、これまでの受賞者に『これから日本のエンターテインメントを担う若きプロデューサーたちへ』と題して、次代を担う若き才能たちへの応援と後押しの一助とするべくインタビュー企画がスタート。稀代のプロデューサーの目に現在のエンターテインメントシーンはどう映っているのか、そして次代を牽引するプロデューサー、さらにエンタメシーンを目指す若い人達に向けてメッセージを届ける。
連載第2回目は『第2回渡辺晋賞』(2007年)を受賞したスタジオジブリ代表取締役プロデューサー鈴木敏夫氏。宮﨑駿、高畑勲という二人の天才監督の才能を束ね、時に導き、時に支え、時に世に送り出した「プロデューサー」鈴木敏夫の役割と人間性こそ、ジブリという奇跡の現場を支え続けたもう一つの“物語”だ。「自分は革新的なものを生み出すことはできないが、人から与えられたものを工夫して世間に出す手助けはできる」と語る鈴木氏に、世の中に感動を届けるすべ、プロデューサーという仕事についてインタビューした。
――少し時間を巻き戻していただいて『第2回渡辺晋賞』(2007年)の授賞式の事を思い出していただけますか?
鈴木 覚えていますよ。子供の頃テレビで観ていた『シャボン玉ホリデー』(1961年~72年/日本テレビ系)が好きで、渡辺晋さんもさることながら、美佐さんが番組に登場することがあって、それがすごく目立っていて印象的でした。僕らの世代は渡辺プロ制作の番組がとても身近であり、憧れでもあった。僕は名古屋出身ですが、ザ・ピーナッツのお二人もそちらの方ですよね。大分昔の話ですが、1959年(昭和34年)の伊勢湾台風でたくさんの方が亡くなったとき僕はまだ小学生でしたが、ザ・ピーナッツが僕の通っていた小学校を慰問に訪れてくれました。そのときのことを今も鮮明に憶えています。だからザ・ピーナッツが所属していた渡辺プロダクションが創設した賞をいただけたのは嬉しかったし、授賞式で美佐さんに実際にお目にかかることができて感慨深かったです。あの日は谷啓さんや中尾ミエさん、伊東ゆかりさん、園まりさんの3人娘もゲストでいらっしゃっていて、手嶌葵さんが福岡から駆けつけてくれて「テルーの唄」をアカペラで歌ってくれました。パーティでは前年に受賞したフジテレビの亀山千広さんとずっと話していたのを覚えています。フジの方々は高級そうなスーツで、うちの陣営は安っぽいスーツばかりで、その違いを笑い合ったのも印象的でした。
――鈴木さんは授賞式でのスピーチで、植木等さんの「だまって俺についてこい」の<金の無いやつは俺のとこに来い 俺も無いけど心配するな 見ろよ青い空、白い雲、そのうち何とかなるだろう>という歌詞が人生訓であり、支えになっているとおっしゃっていました。
鈴木 あの歌が大好きで、今でも心の支えになっています。僕は名古屋市生まれなので、三重県出身の植木等さんに親近感があって、無責任男のキャラクターに「こういう人になりたいな」と憧れていました。
――鈴木さんの授賞理由が「メディア・ミックスによる大規模で大胆なPR展開を指揮し、ジブリ=良質作品、というジブリブランド浸透させ、世界マーケットにおける、日本のアニメビジネススキームを確立させた。一貫して作品勝負に徹するプロデューサーとして、未知のもの、新しいものに挑戦し続けている」というものでした。
鈴木 仕組みを作ったなんて言われると大げさだけど、一回やったことをもう一回やるのが嫌いなんです。新しいことをやりたくなる性格で、それは小学校の時から変わってないです。同じことをやるのは燃えない。だからジブリ作品も続編がないんです。『風の谷のナウシカ』がヒットした時、普通の経営者なら「PART2は作らないのか」と言うはずですが、当時僕が在籍していた徳間書店の徳間康快社長は言わなかった。やったことをもう一度やるのはつらいし、宮﨑(駿)も僕も違うことをやらないと気持ちが新しくならない。企画そのものはいつも新鮮なほうがいいと考えるタイプです。宮﨑も徳間社長も僕も、とにかくみんな飽きっぽかった。だから常に新しいことに挑戦したかったんです。でも僕自身は植木等さんの「無責任シリーズ」も加山雄三さんの「若大将シリーズ」も大好きでずっと観ていましたけどね(笑)。
――メディアミックスと新しいこと、という言葉で思い出すのが宮﨑駿監督の10年ぶりの作品で、2023年に公開された映画『君たちはどう生きるか』は、事前の宣伝素材が1種類のポスターのみで、宣伝らしい宣伝がまったくされなかったということで逆に大きな注目を集めました。
鈴木 あのポスターは珍しく宮﨑が褒めてくれました(笑)。あれもそれまでと同じ宣伝方法をやりたくなかったのと、映画業界の事前宣伝、プロモーションは過剰サービスだと感じていたからです。だって何にも情報がない方が、皆さんの楽しみが増えるじゃないですか。プロデューサーの役割は、お客さんに作品を届けること。どんなにいい映画を作っても、当たらない時は当たらない。だから毎回不安ですし『君たちはどう生きるか』で宣伝を一切しないというのも挑戦でした。声優として出演してくださった木村拓哉さんにも「宣伝しないの?」と驚かれましたが(笑)、結果的に多くの方に観ていただけて本当にありがたかったです。
――宣伝しないことが逆に宣伝になり、みなさんワクワクしながら映画館に足を運んだと思います。
鈴木 特に外国での数字がすごかったんです。実はあの時100社を超える海外のメディアの取材を受けましたが、最初の質問は全部同じ。「なぜ宣伝しないのか?」でした(笑)。これが世界中に発信されて皆さん興味を持ってくださって、あれは面白かったですね。