一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
これから日本のエンターテインメントを担う
若きプロデューサーたちへ
~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
2025.12.18
——秋元さんは変わらずAKBグループ、坂道シリーズの楽曲の歌詞を全部手がけていらっしゃいます。日々本当に大変だと思いますが、どんなに大変でもそこは絶対に譲れない部分なんですか。そして続けることができている秘訣を教えてください。
秋元 やっぱり自分たちがテレビとかラジオとか送り手側になっていると、どこかで驕ってしまうというか。例えばテレビでいえば、この時間帯に放送されるとしたら、視聴者はこういうものを望んでるだろうなというターゲット脳になるんですよね。でも実際その時間帯に自分が家にいて、その番組を観るかというと観ないこともある。大衆はこうなんだというマーケティング論とも言えますが、自分も大衆のひとりであることを忘れてしまいがちです。だから40歳になったあたりから、とにかく自分が面白いと思うものだけをやろうと決めて、例えば映画『着信アリ』(2004年)も本当に大変だったけど自分で小説=原作を書き、主題歌の歌詞も書いた。AKB48をスタートしたときも、全部自分が責任を持って歌詞を書かなければいけないと決意しました。そうしないと監修とかプロデュースとか、製作総指揮という立場と名前では、やっぱり責任が取れないんです。作っているもの、でき上がったものに対して「なんか違うんだよな」とか「本当はそうじゃないんだよな」って思いながらやってきたこともあるので。
——どの作品にもきちんと血が通っていなければいけない。
秋元 やっぱり自分で汗をかかなければいけないし、エンターテインメントが評価される基本って、多分スタッフやプレーヤーがどれだけ汗をかいたかっていうことだと思う。2時間、3時間のライヴやショーは、ステージに立つ人もスタッフもそのステージでかいている以上の汗を、それまでの打ち合わせやリハーサルでかいている。そこが評価されていると思っています。
——その思いはずっと変わらないですか?
秋元 変わらないです。いつも新曲のことを考えているし、新曲を探しています。
——会食があってもお酒を飲まずに帰って、作業するというのは今も変わらないですか?
秋元 それは変わらないです。だけど今までと大きく違うのは、よく寝るようになった事ですね。これまでは一度寝ても3時間~4時間で目が覚めて、それがラッキーと思って、そこから仕事をしたりNetflixとかAmazonを観ていました。今は二度寝して、結果的に7時間くらいは寝ていると思います。最近は年を取ってきたら寝なければダメ、と色々な人から言われて、よく寝るようになりました。
——そして忙しい中でも常にアンテナを張って、色々なものを観て聴いて感じてインプットしているようですが、一日がどんな時間の配分なんだろうっていちユーザーとして気になります。
秋元 それも好奇心じゃないですか。多忙でも面白そうな映画や本があれば仕事を短時間で終わらせて、そのコンテンツに触れたくなる。効率化と好奇心とのバランスが自分の中では自然に回っています。でも今は睡眠優先です(笑)。
——仕事量は変わらないですか?
秋元 書く仕事、書く量は変わらないです。ただ、打ち合わせがオンラインでできるのでずいぶん楽になりました。
——書くだけではなく、候補曲を何百曲も聴く作業があると思いますが…。
秋元 メロ先(詞よりも曲が先にできること)の時代ですからね。これが一番大変。これはやっぱりプロデューサー業の皆さん、本当に大変だと思いますよ。「=LOVE」「≠ME」「≒JOY」をプロデュースしている指原(莉乃)も、それが一番大変と言っていました。でも曲ものべつまくなしに聴くのではなく、テーマがある時もあります。例えば「恋するフォーチュンクッキー」は、その昔、僕らの世代のディスコで、同じ方向を向いて、みんな同じ振りで歌っていたあの感じをやりたいということで、70~80年代のディスコっぽい曲を書いて欲しいとリクエストしました。「365日の紙飛行機」はフォークソングをやりたいと伝えました。そういう場合もあるし、あとはテーマなしで作曲家の皆さんに、今のAKB48、乃木坂にはどんな曲がいいのかをプレゼンしていただく場合もあります。
——秋元さんのプロデュースは、時流に乗るのではなく時代を切り拓き、時代を作ってきた。システムを構築したり「習慣」になることを作ってきたと感じています。
秋元 自分のことはよくわからないけど、やっぱり渡辺晋さんという方の偉大さは、色々な道を切り拓いてきたことだと思います。だから「渡辺晋賞」を受賞された方々は、その分野で誰もやっていない新しいことを試した方だと思います。やっぱり道なき道を作る、切り拓くというところがポイントだと思う。これはよく言うことなんですが、みんなが行く野原に野いちごはないということです。みんなが行かない場所にこそ野いちごが実っている。全然違うところから野原を探して野いちごをみつけるのは大変だけど、楽しいです。
——秋元さんはAKB48のみならず数々のヒット曲を作ってきて、その中には例えば美空ひばりさんの「川の流れのように」のようにスタンダードナンバーとして長年愛される作品も数多くあります。ヒットするものと、スタンダードといわれるものは、その成り立ちが違うと考えていらっしゃいますか。
秋元 先ほども話しましたが、やっぱり僕の手法はゲリラです。正統派では進めなかったので、やむなく変化球をずっと投げてきました。例えば「子供たちを責めないで」(伊武雅刀/1983年)から「なんてったってアイドル」(小泉今日子/1985年)、「雨の西麻布」(とんねるず/1985年)、「1986年のマリリン」(本田美奈子./1986年)と、変化球を投げ続けてきました。だから当然美空ひばりさんの曲をプロデュースさせていただいた時も、曲調に意外性のあった変化球の「ハハハ」という曲がシングル候補でした。でもひばりさんがどうしても「川の流れのように」をシングルにしたいと仰って。「でもこれはあまりにもストレート過ぎます」「引っ掛かりがなく聴こえてしまうかもしれません」ということを申し上げたのですが、ひばりさんはどうしても「川の流れのように」でいきたいと。「川の流れのように」がたぶん僕にとって初めての直球だと思います。
——それがヒットもして、スタンダードナンバーとして歌い継がれ、聴き継がれています。
秋元 変化球ばかり投げていた人間が、ひばりさんのおかげでストレートでもヒットを生めるんだということがわかってから、それまで自分のことを放送作家としか名乗っていなかったけど作詞家と名乗れるようになりました。すごく生意気な言い方をすれば、ヒットは狙えるけど、スタンダードは狙えないですよね。それは結果だから。
——なるほど。ストレートな楽曲を狙って書こうとはその後思わなかったのでしょうか?
秋元 ストレートは今もあまりわからないです。 変化球の場合は例えばインコースいっぱいの高めの球を投げてバッターを仰け反らせて、そこに、次は外角低めをいっぱいに投げることはできるけど、ストレートはなかなか…。元々ストレートを得意としていないし、剛速球投手でもないので。
——確かにスタンダードは狙って作れるものではないですが、ヒットは例えばそれぞれの時代の匂いや気分をしっかり嗅ぎ取ることで作ることができるという見方もできます。
秋元 そうだと思うんですよね。自分はアーティストではなく、「職業作詞家」。つまり徹底的にこの曲はどこで、どういう人たちに歌われるのかを考え抜いて言葉を選びます。あるいは今のこの時代の中で、みんなが群がっているところではなく、どこが空いてるんだろうと思うわけです。僕らの時代は結婚式で「てんとう虫のサンバ」が定番だったけど、もしかしたら今の時代の結婚式で歌える曲があった方がいいんじゃないかなと思って作ったのが「愛が生まれた日」(藤谷美和子・大内義昭/1994年)でした。