一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
            これから日本のエンターテインメントを担う
            若きプロデューサーたちへ
          
          ~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
2025.10.30
――下北沢という街とともに育つ劇場。地域への思いを聞かせてください。
本多 下北沢に住み、商店街とも密着して大きくなりました。最初は若造が劇場なんて……と妨害のようなものもありましたが、今は“夜の飲みボス”なんて言われて(笑)、どこのお店に飲みに行ってもみんな優しくしてくれます(笑)。夜飲みに行くのが毎日の楽しみです。かわいい子が多いし(笑)。僕が劇場を開いたとき「街と一緒に演劇を育てる」と言ったけど、今もその気持ちは変わらない。舞台だけじゃなく、裏方も街の人も、全部ひとつに繋がっている。お祭りの時なんか、劇場で出し物をしたり、商店街の人たちと一緒に舞台の話を肴に飲んだり、そういう演劇と日常の交わりが下北沢らしさ。
本多愼一郎 父が劇場を建てたころとは街の姿もずいぶん変わりましたけど、でも演劇が街全体のDNAと言われるのは、父の世代が根付かせてきた文化だと感じています。
本多 劇場は街の顔であり、若い俳優や脚本家が飛び立つ場所にもなった。有名・無名に関わらず多くの人が最初の一歩を踏み出せる場所であり続けたいです。
 
          ――演劇人は劇場に育てられるということですね。
本多 作家はまず劇場を観に来て芝居を書くんです。本多劇場の空間、小劇場の小さな空間、その空間を感じてどういう作品が合うのか、いいのかを考えるのが作家の本能だと思う。だから物語は空間から始まると言えると思います。
――本多劇場グループの劇場が愛される理由のひとつは「フラットな受け入れ方」があるようですね。
本多愼一郎 うちの劇場は、“有名だから”という基準ではなく、どんな劇団でも等しく受け入れます。人気が出て有名になった劇団も、またスズナリでやりたいと戻ってきてくれます。それは父の言葉通り、“この空間じゃないとできない演目がある”と感じていただいているからだと思います。
――本多劇場が80年代初頭の小劇場ブームを作りました。
本多 あれはもう熱気そのものだった。野田秀樹くんの「夢の遊眠社」、鴻上尚史くんの「第三舞台」、チケットなんてあっという間に売り切れ。劇場の前には人が並んで、街全体が毎日お祭りみたいでした。ザ・スズナリも本多劇場も、そういう若い才能の爆発の真ん中にあったわけで、劇場主としても観る側としても、本当に面白い時代だった。多くの著名な俳優や脚本家がここから巣立っていきました。ここでなら自分らしい芝居ができる、第一歩が踏み出せると思える劇場を守れたことが誇りです。
――今の下北沢の劇場状況をどう見ていますか?
本多 昔より劇場は増えて、うちのグループ以外にも小規模なスペースがたくさんあって、それぞれ個性がある。若い人が小さな会場で試して、そこで評判になって次のステップに行く。こういう循環が今の下北にはあると思う。
――現代の演劇シーン、若い役者についてどう思いますか?
本多 今は昨日まで素人に見えていた役者がすぐにスターになる。上手い下手の判断も人によって違うし、昔の“役者論”も変わるものだけど、魅力ある役者は、とにかくあっという間に引っ張られていく。役者が置かれた環境は今も昔もあまり変わらないけど、もう少し芝居を作りやすい環境になってほしい。役者も作家もみんなお金はないけれど、それでも“やめられない魅力”がある。女性も男性もアルバイトをしながら芝居を続けています。男性の役者は35歳くらいであきらめて辞める傾向が強い。結婚して子供が生まれたら稼がなければいけないから35歳くらいで大体辞めてしまいます。40歳過ぎの男性の役者は本当に少ない。希少価値です。私たちは食えなくてもやめられない、客席に立ち続ける役者を見守っていきたい。お客さんも足繫く劇場に通って、その文化を支えてほしい。この基本は変わらないです。
 
          ――現在9つの劇場を運営する本多劇場グループ総支配人は慎一郎さんですが、一夫さんはどんなオーナーですか?
本多愼一郎 父は劇場の細かいところまできちんと見ていて、例えば、客席の隅にゴミが落ちていたらすぐ拾う。それは演劇を作る人間としての癖のようです。舞台の休憩時間も、お客さんの歩き方や談笑している姿を見て、「今日はお客さんの空気がちょっと違うな」って言ったりする。劇場の“空気”に敏感なんだと思います。
本多 そんなこと言ってる?(笑)。でもね、劇場って、舞台や役者だけじゃなくて、裏方や客席、ロビー、全部がひとつの“生き物”なんです。好きすぎて隅々まで気になっちゃう。
――本多さんから慎一郎さんには日ごろから経営に関するアドバイスはされているのでしょうか?
本多 数年前からほとんど口出ししなくなりました。
本多愼一郎 父からは細かなことはあまり言われていません。現場で劇団・お客様の声を聞き、素早く環境を改善することで“今”に応えています。劇団に寄り添い、劇場の空間を共有できる喜びが一番のモチベーションです。劇団を育てる場所であること、それが本多劇場グループの誇りです。父は「劇場は人が集まる場所」っていつも言います。家族だけでなく、劇団員、スタッフ、街の人も全部“家族”だという感覚なんです。
本多 僕は芝居が好きだけど、それと同じくらい人が好き。みんなが集まるから劇場をやめられない。
――これからの楽しみは?
本多 やっぱり新しい劇場を作ること(笑)。今は劇場を作ったそばから大体満員になっていて、下北沢に演劇人が集まってきているということもあるけど、芝居をやりたいっていう人も劇団もいっぱいあるので、求められていると実感しています。みんなが求めているものを作るのは、やっぱり張り合いがある。色々なところに土地や建物を探しに行くんだけど、息子はダメだ、ダメだって(笑)。でも夢はまだ尽きない。板を作れば、そこに立つ人がいて、観客が来る。その繰り返しで下北沢も演劇界も育ってきたから、次の世代に渡すバトン、まだまだ作りますよ。
――本多劇場グループの新たな劇場、楽しみにしています。
本多 愼一郎次第だね。
本多慎一郎 (笑)。
 
          
            1934年、北海道札幌市生まれ。本多劇場グループ代表。
            1955年、新東宝ニューフェイス第4期生として俳優デビュー。その後1982年に本多劇場を開場。その後下北沢だけでも8つの劇場を開場・運営し下北沢が「演劇の街」と呼ばれる契機をつくった。下北沢演劇祭をはじめとする様々な地域行事にも主体的に関わるなど、長年にわたり文化・芸術を身近に触れ楽しむことができる地域づくりに寄与している。