一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
            これから日本のエンターテインメントを担う
            若きプロデューサーたちへ
          
          ~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム
渡辺晋賞 第20回 記念企画
~渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス~
2025.10.30
――一時は飲食店を30~40軒、ビルやマンションも経営して実業家として成功していたと何かのインタビューで読みました。そこから一念発起して下北沢に本多劇場を作られたんですね。
本多 40歳を前にしてまた芝居熱が出てきて、そんな時に下北沢駅前の銭湯の跡地の話が来ました。「ああ、これはもう、やるしかない」と。大勝負でした。土地は400坪、そこに300人キャパの劇場を作ろうと思いました。でも初代新国立劇場演劇部門芸術監督を務めた渡辺浩子さんから「300人だとトントン、400人規模でなんとか採算が取れる」とアドバイスしてもらいました。その後、土地を少しずつ増やしながら10年かけて1000坪くらいになりましたので、ようやく劇場建設が始まりました。舞台美術家の朝倉摂さんからも、劇場設備のさまざまなアドバイスを受けて1982年11月、386人収容の本多劇場が完成しました。
 
          ――本多劇場はどの席からも舞台が観やすい設計で、素晴らしい臨場感が味わえます。
本多 ここまで傾斜をつけた劇場は当時なかったです。芝居を見ている時にどの席からも板(舞台)が見えないとダメ。役者の足までちゃんと見えないとダメなんです。
――本多劇場を作った後も下北沢に次々と劇場を作っていきます。
本多 本多劇場が完成してからも、身近で小さな劇場を作りたくて、空いた土地を見つけては、ここも小劇場にと増やしてきました。下北沢は昔、銭湯や古アパートばかりで、劇場を作るときに「本当にこんな場所で芝居やるの?」とびっくりされました。最初は稽古場にするつもりだった『ザ・スズナリ』も、仲間から「稽古場じゃもったいない」と言われ、「ザ・スズナリホール」という小劇場にしたのが始まりです。
――民間で劇場を創って維持することは、想像を絶する大変さ、難しさがあると思うのですが。
本多 日本は欧米と違い、個人劇場には税制優遇がないんです。行政のパブリックシアターには数十億の助成金がある一方で、こちらは一銭も補助はもらえず、税金だけきっちり払います(笑)。この国は厳しい。文化なんてなくてもいいって本気で思ってるんじゃないかと思ってしまいます。私が本多劇場を作って、その10年後に北沢タウンホールができて。その時も税金で作るからあっという間にできてしまう。だから当時の世田谷区長に「やっと私が劇場作って、10年後に税金で下北沢に小屋を作って芝居をやられたら、やっていけなくなる」って言ったら、「タウンホールでは芝居はやりません」ということを言ってくれて。そのことはよく覚えています。でも劇場をやっていくのは本当に難しい。ただ、やめようかなと思っても“ここでやりたい”という人がいれば踏みとどまる。それがなければ劇場経営はやめてもよい、そういう気持ちです。
 
          本多愼一郎 今、北沢タウンホールの地下にある劇場「B1」は、我々が運営しています。劇場経営については、しんどいというより、誰かがやらなければいけないという責任感のほうが強いかもしれません。自分でできることは全部やってコストカットにつなげるし、劇場のメンテナンスも、エアコンなどの補修も、すべて自分達で工夫してやってきました。公演予定が入っている限り、経営も存続していかなくてはいけない。“演じたい人”たちの受け皿としてありつづけるのが使命です。