一般財団法人 渡辺音楽文化フォーラム

渡辺晋賞 第20回 記念企画

これから日本エンターテインメント担う
若きプロデューサーたちへ

渡辺晋賞受賞プロデューサーからのアドバイス


第1回 亀山千広

2025.6.26

「少し外した」ところにヒットの鉱脈あり

――2013年にフジテレビの社長に就任して、経営サイドの立ってからはモノを作りたいという思いはどうだったのでしょうか?

亀山 会社全体を見る立場になり、でも営業や報道を経験していなかったこともあって、勉強することが山ほどあり、そういう思いは消えていました。忘れていました。そこは渡辺晋さんと全く違って、経営をやりながらエンターテインメント、文化を世の中にもっと広めていくんだ、テレビでできるはずだ、と思っていたのですがそうではなくなっていきました。それは考えてはいけないと思いました。

――どこかで自制していたのでしょうか。

亀山 そうですね。僕はドラマ、映画の現場出身の社長だったので、僕が何か言うと現場介入って言われてしまうので、そこは気を付けていました。もちろん感想を聞かれたら「もっとこうしたほうがよかったんじゃないかな」ということは答えていましたけど、その程度です。

亀山千広

――BSフジの社長になられてからもそれは変わらなかったですか?

亀山 BSに来てからは、地上波と違ってエッジが立っている、マスな視聴者ではなくコア向けの番組を作るので、地上波のノウハウは捨てなければいけないと思いました。そうなると僕はニッチなものが決して嫌いではないので、面白いものが作れると思いました。地上波ではそれはやるなと言われていたので(笑)。でも結果的に「踊る」は犯人逮捕を描かない警察ドラマという極めてニッチな、意外とフェアウェイが狭い企画だったのがうまくいって、20年以上続いているパターンなので、性格的にはどちらかというと、ド真ん中のド定番のものをどーんと作っていくというのは、実はあまり得意ではなかったかもしれません。

――それは視聴者からすると意外です。

亀山 例えば昨年のお正月三が日に、BSフジで一挙放送された『ビーチボーイズ』(1997年)もそうですよね。あのときのあの2人(竹野内豊、反町隆史)だからできたドラマで、でも二人の成長物語でもなくて、設定が海辺の民宿で、かっこいい男2人が家族の揉め事に立ち会うという話で、実はやろうとしていたのはホームドラマでした。それも何か本流としては違う見せ方をしていて、ベースはやっぱり狭いところというか、ホームドラマとしては見せ方が狭かったのかもしれません。そういう意味では「踊る」もそうだし、外しぎみの企画が好きでした。でもプランニングとその道筋というものをちゃんと見つけなければいけなくて、最初から外してかかって進めるとうまくいかないので、地上波では苦しみました。BSでは少し外しぎみなところが、実は鉱脈になる。でも経営って外し気味では絶対ダメなんです。

――BSは各局でしか見ることができない番組を、明確な目的をもって視聴している人が多い傾向があると感じます。

亀山 『渡辺晋賞』をいただいた当時は、僕を含めて本広克行監督、脚本の君塚良一さん等『踊る』のチームの合言葉は“先を急げ客は待ってくれない”でした。話をどんどん転がしていくのがひとつのエンターテイメントと考え、それが当時の僕の中のドラマの作り方でした。でもBSに来て“先は急ぐな客はそこまで急いでない”というか、のんびりゆったり観てもらおうというのがBSの作り方だと思いました。結果ではなく、過程を楽しもうという作り方で、そこは映画を作る時も同じで、過程を楽しむ映画と、結果を楽しむ映画があります。むしろ映画の方が上映館の数や規模で、それを表現できるので面白かったです。僕が作らないまでもそのラインナップを決めていく、ある意味編成していくという仕事もやりがいがありました。

亀山千広

――昨年、12年ぶりに『踊る』チームが再集結し、映画『室井慎次』2部作を制作、ヒットさせました。そのプロモーションタイミングで亀山さんが様々な媒体でインタビューを受けていらっしゃって、それを読むと映画への深い愛とこだわりが伝わってきました。

亀山 そうですね、今、連ドラを作れって言われたほうが焦ると思います(笑)。『室井慎次』シリーズは、僕のところに君塚さんから相談がきたことがきっかけでスタートしたプロジェクトなので、行きがかり上参加はしていましたが、まさかこんなにどっぷり浸かってやるとは思っていなかったのですが、久々にのめり込んでいきました。だからあれが連ドラだったら、途中で「もう任すから」って言っていたと思います(笑)。

――君塚さんからはどんな相談、言葉があったのでしょうか?

亀山 「室井をちゃんと終わらせたい、もう一度三人(君塚・本広・亀山)で仕事をしませんか」というメールをもらったのがきっかけです。

――12年前に終わっていなかった。

亀山 映画2本(『踊る大捜査線 THE MOVIE 3 ヤツらを解放せよ!』『踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望』)とドラマ1本(『踊る大捜査線 THE LAST TV サラリーマン刑事と最後の難事件』)で、僕らは終わらせたつもりでした。でも君塚さんの思いは違っていました。それは僕の耳にも入ってきていましたが、柳葉さんは室井を背負ったまま完結後の12年間は、例えばオールバックで出るような役やスーツを着るような役は全て断っていたそうです。柳葉さんがずっと“背負う”ものを作ってしまった責任が3人にはあると。なので柳葉敏郎さんを室井役から解放したいという思いが、この映画の起点になっています。でも監督と柳葉さんは最初は乗り気ではなかった。最初は人間ドラマにしようと思いましたが、そこが監督が首を縦に振らなかった理由でした。「コメディ要素がないものはできない」と。