顕彰事業

第1回表彰 第1回渡辺晋賞:亀山千広氏

【第1回渡辺晋賞】
亀山 千広(かめやま ちひろ)氏

1956年6月15日 静岡県生まれ
早稲田大学政治経済学部卒業
株式会社フジテレビジョン映画事業局長

『授賞理由』
常に新しい方向性をもち、企画・製作からプロモ−トまでのすべてを指揮するプロデューサーとして、幅広い世代に受け入れられる数々の映画をつくり、さらにはスピンオフ企画までをヒットさせたことによりエンタ-テインメントビジネスの発展に大いに貢献してきた功績に対して。

大学在学中に、映画監督・五所平之助の書生を務め、映画製作を経験する。 フジテレビ入社(1980年入社)すぐ編成部に所属。1986年10月からの『タッチ』第4部(上杉達也3年夏の甲子園編)を手始めに、様々なドラマやアニメの企画・プロデュースを手がける。1990年4月にテレビドラマを作る第一制作部に移り、月9など、テレビドラマのプロデュースを手がけ、1994年正月には『あおげば尊し 先生、元気ですか! 一緒に笑って、泣いたあの時を私たちは忘れない たくさんの愛の思い出をありがとう…』の総合プロデューサーを勤める。

1997年7月、自らも最終話に出演した『踊る大捜査線』のヒットで編成部に部長として復帰。2001年10月には編成制作局長に就任し2002FIFAワールドカップの日本vsロシア戦の放送権を引き当て、「神の手」ならぬ「亀の手」と呼ばれた。この試合は2002 FIFAワールドカップ本戦での日本初勝利の試合となり、視聴率も平均66.1%、瞬間で81.9%を記録する歴史的なものとなった。

2003年6月映画事業局長就任。7月から、フジテレビにおける映画事業の最高責任者となり、フジテレビ製作の映画には「製作」として必ずスタッフロールに登場する。(但し、『踊る大捜査線 THE MOVIE』ではプロデューサー、2ではゼネラルプロデューサー、また、2005年公開のレイクサイド マーダーケースではエグゼクティブプロデューサー)。
主なプロデュース作品として、「踊る大捜査線THE MOVIE」(1998年)、「踊る大捜査線THE MOVIE2」(2003年)、「海猿」(2004年)、「ローレライ」、「交渉人真下正義」「容疑者室井慎次」(2005年)などの大ヒット映画を手掛け、「スピンオフ」という言葉を大衆に広めた人物でもある。また、アメリカFOXテレビ制作のドラマ『24 TWENTY FOUR』の日本語版製作も手掛けている。
『お台場冒険王2〜レインボーブリッジは封鎖するな!!〜』(2004年夏)では初イベントプロデューサー。 2005年は総指揮を務めている。

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