顕彰事業

第11回表彰 授賞式の模様:北村明子氏受賞挨拶

本当に本日は、ありがとうございました。

えーと、これほど褒められると「自分で“落とす”しかないかな?」みたいな感じがするくらいに、褒められ過ぎです。(北村様のご紹介映像を)見ていると「すごいやり手の頑張っている人だ。」ということが、わかります。でもあれは、これしかやることがないので一生懸命やっているだけであって、とりわけすごいことをやっているわけではありません。「あれが日常生活」ということなんです。このように、あんまり「普通、普通」と言っても、嫌味に聞こえてしまう心配があるので、やめましょう。

私は年に5本の公演を行います。1回の公演について申し上げますと、稽古があって本番をやる。次の公演の稽古をやって…、というのを繰り返します。1回の公演ごとに40日間の稽古をしてから1ヵ月公演をやるわけですので、5本の公演をやるだけでもう目一杯なんですね。
1年間はそれでもういっぱいいっぱい。終わったらやって、終わったらやってという繰り返しです。「なんでそんなに生き急ぐの?」とよく言われます。そんなつもりはありませんが、まあ歳が歳ですから生き急いでいるように見えることは確かなんですね。 年に1回か2回しか公演をやらないと、趣味でやっているみたいに思われそうでしょう。そ
れが嫌で、『これは私たちの生業なんだ。』、『この公演で私たちは食ってるんだ。』という覚悟を見せようと、公演をやろうと決めた最初から思っています。ですから、『余裕を持ちながらやっていると思われたくない。』ということで、1年に5本の公演をやっています。これで目一杯です。
「そろそろ社長、ゆっくりしてもいいんじゃないですか?歳が歳だから。」なんて、言われたりもしますが、『死ぬまでこれでやってやろう。』という意気込みだけは、ずーっと保ちながら、この仕事をやり続けてきたんです。

でも、さきほどあんまり褒められたのになんなんですけれど、そもそも私は別にプロデューサーになろうと思って勉強して、プロデューサーをやっているわけでもないんです。もちろんそうやってこられた方もいっぱいいらっしゃると思いますが。
私はですね、2回離婚しています。2回目の結婚で子供ができましたから、母子家庭です。子供を抱えながらも、好きなことをやろうと思って、貧乏をしながらも一生懸命にやってきた結果が、今こういう風になっています。いわば、流れですね。
その意味では、ちょっと大雑把に振り返りますと、「これだ!」って決めて、何かをやったことといえば、『役者になろう。』と思った時だけでしたね。でも東京に出て、挫折しました。そうした挫折を繰り返す中で、『役者として芝居をやっているよりも、裏方としてやっている方が楽しい。』という体験をいくつかさせてもらいました。そうした経験の積み重ねで私は、こういう仕事に巡り合えたと思っています。あるがままの生活の中でこの仕事と巡り合っただけなのです。このための勉強をやってきたわけではない人間ですから、ここまで評価されるとは思ってもいませんでした。ですから、照れくさくて恥ずかしい場に立っていると感じるわけです。この10年間でそうそうたるメンバーが受けていらっしゃるプロデューサー賞を私がいただくなんてね。

これをお作りになった渡邊晋さん、渡邊美佐さん。やっぱりすごいですね。私がいただくから言っているわけじゃなくて、日の当たらない人間のことをちゃんと見てくださるプロデューサー賞は、日本ではほかには無い賞ですよね。
紀伊國屋からもこの間、賞を頂いたんですよ、あれは(紀伊國屋演劇賞五十回記念特別賞制作者賞)50年に1回の記念賞なんですって。
それも制作者賞ですから。で、「次は、50年後ですか?」って聞いたら、「そうです。」って。『50年後なら私の2度目の受賞はもう無いな。』と思いましたけれど、それぐらい珍しい賞なんですって。
そうなると増々、毎年プロデューサーを顕彰するという“文化の重み”に足を踏み込んでいらっしゃる渡邊家の皆様に、これからも頑張って頂きたいと思います。ここで私がエールを贈っているようでなんですけれど…。そして、これから先も私に続いて女性が受賞できる状況を、何とか作って頂けたらありがたいな、とも願っています。
受賞のご挨拶が、こんな話でよろしいのでしょうか? 本日は本当にありがとうございました。

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