顕彰事業

第9回表彰 授賞式の模様:松任谷正隆氏受賞挨拶

 どうもありがとうございます。昨日、去年の三谷さんの授賞式のビデオを一所懸命見て研究し、もっと素晴らしいスピーチにしてやろうと思ったのですが、ここに来たら全てトンでしまいました。
 ご出席のみなさま、今日はこの雨の中、僕の一世一代の晴れ舞台にお越し頂いて本当にありがとうございます。良く考えてみたら自分が表舞台に、このように立つのは初めてだということに気付きました。
 僕のプロデュースのスタートは、当時まだ中学生だった弟を高校生の僕がそそのかし、「おまえならアメリカに行ってバンジョーで一番になれる」というような事を言って、アメリカに行かせて、ケンタッキーフライドチキンカップで優勝させたことだったと思います。そこから分かるように、何事も自分で手を汚すのは嫌で、「松任谷ならぬ、裏で糸を引く納豆谷」と言われ、僕の音楽との関わりはそのような始まりでした。
 だから、バンドをやっても表には出ないで、後ろでやる事をずっとやっていたのですが、やはり人間の本心としては、たまにはちょっと表に出てみようかなみたいな、表舞台に立ってみたいな、というスケベ心があったのは確かだったと思います。
 それに関して、昨日一所懸命思い出したエピソードを1つお話しします。それは1970年代の終わりだったか80年代の初めだったか、僕が、日本レコード大賞の編曲賞にノミネートされ、今年は取れるぞ、と言われたことがありました。多分レコード会社の人から言われたのだと思います。それで綺麗な格好をして会場に向かいました。確か帝国劇場だったと思うのですが…。会場に入ると見たこともないような世界でした。ずっとフォークや少数派のアングラというような所で音楽活動をやっていたので、こういう人達がレコード業界・音楽業界を動かしているんだというのを実感する風景は見たことがなくて、圧倒されたというか、怖気づいたというか、なんだか場違いなところに来たような気がしたことを覚えています。ロビーには業界のさまざまな重鎮が大勢いて、そのそばをコソコソと入っていきました。発表が進み、「さぁ、いよいよ編曲賞!」という場面になりました。僕にもマネージャーがおりまして、そのマネージャーが「今から出ますからどいて下さい!どいて下さい!」と周囲に告げて、ステージへの道を開けるわけです。で、僕が客席を半分ほど進んだとき、「編曲賞は、萩田光男さん!」とコールがありました…。みなさん、ここは本当に笑って下さい。笑ってくれないと僕は困るんです(笑)。あの瞬間は本当に目の前が真っ暗になり、というより真っ白になり、そのあとの事はほとんど覚えていません。帰りがけにドアを開けてロビーに出た時、渡邊晋さんと、スカーフを巻かれた渡邊美佐さんがお通りになったのだけは記憶に残っています。やっぱり僕はこの世界は「お呼びでなかった」と、その時は思いました。
 それからの僕は、訳が分からないなりに、エネルギーという鞭を武器に、訳が分からないことをやってしまう、みたいなことをやり続けて40年位が経ちました。
 あれ?と思ったのは、今ビデオで出ました、クレイジー・キャッツのみなさんと松任谷由実のコラボレーションをやらせて頂いた時です。それまで完全アウェイ、外側の人間だと思っていた僕が、渡辺プロダクションとコラボするなんて…。こういうのってお釈迦様の手の上でっていうんでしたっけ?三谷さんこの解釈でいいでしょうか?(笑)そういうことだったのかな、とふと思いました。
 こんなことを言うと本当に恐縮ですが、今日は、部外者と感じていた自分が、家族のように迎えられたような気持ちがします。本当に今日は、僕の一世一代の日で、うちのカミさんにも見せてやりたいです。ですが、今日はツアーなので仕方ないのです。改めて申し上げますが、本当に幸せです。どうもありがとうございました。

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