顕彰事業

第13回表彰 授賞式の模様:村井邦彦氏受賞挨拶

村井邦彦でございます。どうもありがとうございました。美佐さん、ありがとうございました。

あまり子供のころから、賞とかそういうのに縁が無い子供だったので、大人になってこういう賞をいただけてとても嬉しいです。ありがとうございました。
ここにいらしている皆さんのほとんどの方が僕の友達、そして仕事の仲間なんですね。僕たちの仕事っていうのは、やっぱり良い友達と一緒に仕事をすることによって、初めて可能になります。ですから、この賞をいただけるようになった過程では、僕は色々なサポートを受けてきました。音楽面でのサポート、色々なビジネス面でのサポート、さらにさまざまなイマジネーションのサポートもありました。そういった面で助けてくださった人たちが沢山いらっしゃるので、この場でその皆さんに大いに感謝をしたいと思います。ありがとうございます。

今回、僕がどうしてこういう仕事をするようになったのか、振り返ってみたのですけれど、一番は、こういう音楽や、文化、舞台、レコード制作などのような仕事をするプロデューサーを子供の頃から生で見てきたことだと思います。最初に思い出すのは、キャンティを作った川添浩史さんと梶子さんご夫妻です。この方は、1950年代に“東(アヅマ)歌舞伎”というのを持って、ヨーロッパとアメリカでツアーをしているんですね。それから60年代初めには、アメリカのブロードウェイから『ウエストサイドストーリー』のオリジナルキャストを連れてきて、日生劇場で公演をやっています。僕はまだ大学生になるかならないかくらいでしたけれども、川添さんに連れられて日生劇場に行って、ジェローム・ロビンスや、その他の重要な人たちと話をしている川添さんを横で見ていました。それから僕の学校の先輩でもありますけれども、永島達司さんという方がいらして、この方は日本で最初のプロモーターですが、古くはナット・キング・コールから60年代にはビートルズを日本に呼んでこられました。この永島さんのこともずっと見ていました。それからもう一組は、渡邊晋さんと美佐さんのカップルでした。僕が作曲を始めたのは67年か8年くらいですけれども、68年には渡辺音楽出版に出入りを始めました。渡辺音楽出版は、有楽町駅に近いちょっと細い路地のビルにあり、事務所から電車が走っているのが見えました。そこに平尾昌晃さんや、その後パートナーになっていく山上路夫さん、さらになかにし礼さんやその頃の代表的な作曲家、作詞家がいつもいらしたんです。ロカビリーのブームが終わった頃で、美佐さんは国際的な仕事を沢山されていました。僕が覚えているのは、ザ・ピーナッツを連れて、カテリーナ・ヴァレンテと一緒にヨーロッパのミュンヘンだと思いますけど、共演させたりしていました。すごいことをおやりになったなと思ったのは、さらにニューヨークにザ・ピーナッツを連れて行って、『エド・サリヴァン・ショー』に出演させたり、1970年の大阪での万国博覧会の時には、サミー・デイヴィスJr. 、それから僕の憧れの人であるマレーネ・ディートリッヒとか、セルジオ・メンデス、アンディ・ウイリアムズといった人たちを万博に招聘して成功を収めたことです。
こういう名プロデューサーの後ろ姿を僕は見て育ったのです。特に美佐さんにはその後も長くご指導いただいていますので、その美佐さんから賞を頂けることを本当に僕は喜んでいます。そして三枝成彰さん、ありがとうございます。同じ音楽家同士なのに大変褒めて頂いて、とても嬉しいです。確かに、三枝さんがおっしゃったとおりに、70年というのは、世の中が変わった時期でありました。
こんなことを思い出しました。美佐さんが話してくれたそのころのちょっとしたエピソードなのですが、万博のゲストに呼んだマレーネ・ディートリッヒは、なんとかというブランドの高いシャンパンしか飲まなかったそうなんです。プロデューサーとしては、そのシャンパンをどっかから手に入れなければいけないのですけど、どの酒屋に行ってもそのシャンパンは無かったそうです。結局、そのシャンパンを持っていたのは、東京・銀座のフランス料理店“マキシム・ド・パリ”ということが分かったので、“マキシム”からシャンパンを万博会場まで取り寄せたそうです。その結果、ディートリッヒの公演を無事に終えることができたそうです。まあそういうこともあるような時代であったと思います。

僕はこれからも現役でやりたいことが沢山あります。
この間は『LA meets TOKYO』というLAで僕と一緒に仕事をしている人たちを日本に連れてきて、日本の仲間と一緒にやる音楽会をやりました。この次は、『TOKYO meets LA』として、東京にいる音楽家の仲間をLAに連れて行って、LAで音楽会をやるつもりです。それから、『カリオストロ伯爵夫人』という音楽劇を書いたので、これを本格的な音楽ミュージカルないし、三枝さんに教わってもっとオペラ風にしてみようかなと考えています。また、『日本歌曲集』も書き続けていますのでこれも継続したいですね。さらにピアノの曲集も書いていますよ。

これは三枝さんを見習うつもりなのですが、三枝さんは10年先までどんな仕事をやるかを決めて作品を書いていらっしゃいます。僕もそういう風にしようと考えるようにしました。ですから、この受賞がバネになって、もう一段ジャンプできたらいいと願っていますので、今後ともよろしくお願いいたします。ありがとうございました。

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